2019年06月27日卒業生からの寄稿(松宮小百合さん)

理事から大学の思い出を寄稿していただきました。

今回は松宮小百合さん(昭和60年度卒業)からの投稿です。

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大学の思い出

  皆さんこんにちは。私はS60年に県立短期大学の食物学科を卒業し、この春で早34年になります。県立短大は興味のある学科があり自宅から通える場所であったことから受験をしました。当時の私には他の選択はなかったように思います。

2年という短い期間でしたが、実験や実習を通して体験することの大切さ等、多くのことを学ばせていただきました。

  思い出すのは、小グループで100食分の給食を準備し提供するまでの一連の作業を協力し合ってやり遂げる実習や高齢者世帯の多い地域に出向き、直接お話をしながらアンケートに答えていただく学外実習、また学校給食の現場実習では給食センターでの実習後、母校の生徒と一緒に給食を食べたことも良い思い出です。当時の湖北総合病院や長浜保健所でもお世話になりました。どれも大変緊張しつつも社会とのつながりを感じた貴重な体験でした。

  衣・食・住・教育が暮らしの中でどれほど大切かということを年を重ねてより強く感じます。地域の健康づくりのイベントや病院での栄養指導等、いろいろな場面で活躍されている卒業生にお会いした時にはとても頼もしくうれしく感じます。

大学の友人は一生の友達になれるといいます。今はいろいろな事情が重なり身動きがとれない友も多く、なかなか会うこともかないませんが、また一緒に楽しい時間を共有できればと思います。

  縁あって彦根の住民となり、31年になります。県大に一度も足を踏み入れたことのなかった私が思わぬご縁で理事としてこの会に参加させていただいております。メンバーの皆さんはそれぞれ大変お忙しい中、工夫して時間を作り少しでも良いものにするために根気よく努力をされており、学ばせていただくことも多いと感じます。今後、新たな気づきや出会いもあることでしょう。

県立大学と湖風会館が訪ねてよい場所であり、この同窓会が交流・懇親の場としてより親しみやすい場所となりますよう皆様からも助言やご意見をいただけたらと思います。

S60年 食物学科卒業 松宮小百合

2019年05月07日卒業生からの寄稿(辻ひとみさん)

理事から大学の思い出を寄稿していただきました。

今回は辻ひとみさん(昭和42年度卒業)からの投稿です。

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         想い出の城下町 彦根

                              辻 ひとみ

 もう50年以上も前になります。

 私は滋賀県立短期大学家政学部1回生として彦根に来ました。自宅から通うのには少し距離があるということで、尾末町にある短大の寮に入れて頂き、私の彦根での生活が始まりました。

 寮生は、食物、家政、保育の各科4人ずつ、12人だったと思います。初めて出会う人ばかりで、入寮当初はぎこちなくて、、、、みんなコチコチだったけど、お互い名前で呼び合うまでに時間はかかりませんでした。

 毎日寮生が姉妹のように、尾末町から池洲町の学校までおしゃべりしながら通学。学校では代返を覚え、ノートの代書をしたり、宿題の協力も・・・お互い助け合って(?)楽しい学生生活の日々。ただ、和裁の宿題で浴衣の仕上げを手伝ってもらったのがバレて、次の授業の時に縫い終わっていた着物がほどかれ、縫い直しをしたことなどはちょっとしょっぱい思い出ですが。放課後は、まっすぐ滋賀大経済の体育館に直行。仲間とバスケットボールに明け暮れ、寮を出た後は、市内で下宿の生活でした。

 春はお城の桜に、夏はお濠の白鳥に、秋は紅葉に、冬は雪に覆われたお城と梅林にと季節の移ろいに感激の日々。嫌なこと、辛いこともあったのかも知れませんが、今思い出すのは全てが楽しかったこと。全てがはじけていたし、毎日が楽しかった。何もかもが力となった。多分今の活動の中の協同精神はこの時代の産物だと思います。

 この時、梶光男さんの「青春の城下町」がヒットしていて、みんなで歌ったのも懐かしい想い出です。

 城下町の彦根で過ごした毎日は、私を逞しく育ててくれました。この時があったからこそ今があり、彦根での想い出は私のエネルギーの源。それを胸に今も頑張ってます。

 ありがとう 私の想い出の城下町 彦根。

2019年01月06日卒業生からの寄稿(阿閉順子さん)

理事から大学の思い出を寄稿していただきました。

今回は阿辻順子さん(平成8年度卒業)からの投稿です。

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みなさんこんにちは。

私は、H8年に滋賀県立短期大学を卒業しました。
そう、「県短」最後の学生です。

 将来何になりたいかなんて、特に考えていなかった私は、長浜市の出身であることから、なんとなく近くて、資格も取れるという理由で、「県短」の食物学科に入学しました。

短大ですので、言ってみればたった2年、通った学び舎も今はなき「県短」。
そのなんとなくから始まった短い「県短」生活が、今現在も色濃く、ここまで私の中に存在し続けるとは。思いもよらず、自分でも驚いています。

その要因はふたつ。

 ひとつは、同級生とのつながりです。
卒業後、会う回数が、めっきり少なくなったのは事実です。
ただ、遠い地から来ていたのに滋賀を住処とした友達、地元に戻っても、滋賀を第二の故郷といい、琵琶湖を見に行きたいと言ってくれる友達がいます。地元に帰った友達を訪ね、いろんなところに行きました。
卒業した年から、毎年開催されている同窓会の存在も大きいです。
それほど接点の無かった同級生とも、この会では顔を合わせ、近況を報告し合います。この同窓会を機に、現在も飲みに行く仲になった友達もいます。
卒業してからの時間のほうがずっと長い、本当に不思議な関係です。

もうひとつは、この支部同窓会。
元々は、前身の芹翆会に出席されていた恩師の大辻先生に付き添い、耳の不自由な先生の筆記役をしたことがきっかけでした。
そのまま、人間文化学部同窓会設立後は理事として活動させていただくことになり、現在に至ります。
ここでも実際、何をしたい!なんてありませんが、大先輩から後輩まで、世代を超えていろんな話が出来るのは大変光栄ですし、勉強になることが多々あります。
仕事や友人関係では築けない、こちらも不思議な関係です。
先日の湖風祭では、委員みなさんのとてつもないパワーを感じました。
みんなでやる「何か」、これからも若い世代を巻き込んで、どんどん活動していってほしいと思います。

コミュニケーションツールが発達した今だからこそ、出会いを大切に。今この時を大切に。

これからも、よろしくお願いします。

2018年11月19日卒業生からの寄稿(矢吹安子さん)

理事から大学の思い出を寄稿していただきました。

今回は矢吹安子さん(昭和42年度卒業)からの投稿です。

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卒業生からの寄稿(矢吹安子)

 私は、昭和42年に「滋賀県立短期大学家政学部保育科」を卒業後、京都府長岡京市にある「私立カトリック幼稚園」に就職しました。次に昭和46年から49年まで東京丸の内にある「産経新聞本社」に勤務しました。そして12年後に、故郷彦根に帰ってまいりました。

 時は流れ、平成22年11月、彦根ビューホテルにおいて「芹翠会の集い」が催されました。懐かしい思いと楽しさがあふれる集いになりました。改めて母校の伝統の重みに感動いたしましたが、まだその余韻にひたっている頃、先輩の辻敏子様から同窓会「湖風会」の役員になってほしいとのご依頼をいただきました。日頃何かと優しく温かく接してくださる先輩のお心に従い、平成24、25年に、人間文化学部支部と湖風会の役員をお受けいたしました。

 その後、平成28年6月に開催された「平成29年度湖風会総会」において、「第3代湖風会 会長」という重責を賜り、まさに身の引き締まる思いを致しました。会長の任務には毎月交互に開催される「役員会」と「総務委員会」に参加することも含まれています。愛知県や大阪からお越しくださる委員もいらっしゃいます。また、東海支部総会は名古屋で、関西支部総会は大阪で開かれますが、それにも参加いたしました。また、看護学部支部「湖畔の会」と工学部の「学友会」にも伺いました。

 平成30年(2018年)11月の大学祭「湖風祭」で、人間文化学部支部は、「紙芝居」、「折り紙」、「お抹茶でおもてなし」などを催し、テニス同好会は、OBと学生の「テニスの集い」を開催され参加いたしました。このようにOBの皆様が、それぞれのお立場から、後輩の学生や「湖風会」を守ってくださっていることに、私は深い感銘を受けました。

 そして、現在の県大生が第一線を退くまでは、私ども短大卒業生が、この同窓会を盛り立てていかなければならないという思いを強くしました。

  会長として、入学式、学位授与式、「國松善次氏 旭日重光章受章を祝う会」などにも出席致しました。特に國松様会での「鏡開き」では、約15名の中の一人として、壇上で貴重な経験をさせていただきました。いずれも緊張を伴うものでしたが、無事に役目を果たし、安堵いたしました。

  湖風会会長就任のご挨拶でも「皆さまと手を携えて、期待をもって集まれる会になるように願っています」と申し上げましたが、2018年4月には、念願の「昭和42年保育科卒のクラス会」を開催しました。「うれしい!!」「やった!!」51年ぶりに学友に会える、長い間待ち続けたクラス会でした。岸田初美さんのゲームなどで盛り上げていただき、心に残るクラス会となりました。

  最初に、会長をお引き受けした経緯は述べましたが、彦根市議会議員として多忙であり、ためらいもありましたが、皆様に支えられて身に余る経験をさせていただいておりますことは、感謝の一語に尽きます。

 会長職は道半ばですが、「湖風会」がますます発展し、母校の県立大学との連携強化による学生支援や社会貢献活動が充実していきますよう、人間文化学部支部の皆様と共に頑張ってまいります。

 今後ともご指導、ご支援をお願い申し上げます。

2018年09月02日卒業生からの寄稿(早川幸代さん)

理事から大学の思い出を寄稿していただきました。

今回は早川幸代さん(平成01年度卒業)からの投稿です。

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私は、現在、湖風会人間文化学部支部同窓会副会長を拝命しています。その関係上、否応なしに湖風会の本部役員にも名前が連ねられていますので、両会議等に参加させていただく機会がありますので、私自身の短大時代の思い出と併せて、同窓会運営活動の内容や活動を通して得た印象や感想も書かせていただきたいと思います。

この私、今年50歳。短大を卒業してちょうど30年です。福井で生まれ育った私ですが、短大入学と同時に滋賀へ。就職で一度故郷に戻りましたが、短大時代に出会った主人と結婚し、滋賀在住の身となりました。短大のゼミの恩師 武邑尚彦先生とは、ぐんと家が近くなり、今も奥様を交えて、茶飲み師弟関係が続いております。ありがたいことです。二人の子どもが大学生になったのを機に、これまで以上に、お陰様とか、ご縁とか、恩返しというワードを考えることが近年多くなりました。幼児教育学科を卒業し、養護施設・幼稚園・保育園で働いた経験や出会い、発達障害、学習障害、家庭の役割などへの知識を深めるきっかけ、強いては人生の機微、幸せ…?などなど。これらは全て、短大時代での学びから、スタートしたことばかりです。これまでの50年、もちろんつらいこともあったけど、それを忘れるくらいの良い人生だと思うにつけ、感謝したい人の顔がいっぱい浮かんできます。

そもそも、国立大学の受験を失敗しての滋賀県立短期大学への入学。当時は、「こんな短大なんて」のと見下げていた自分がいました。もちろん、自分のデキの悪さを棚に上げてです。入学してみて、特に滋賀県内の高校からからの入学者においては、滋賀県内のそうそうたる高校から、滋賀県立短期大学入学を望んでいる学生がいることを知ったのです。もちろん学歴ではなく、この学部にどうしても入りたいという強い意志の学生が多かったことに気付かされたわけですが…。

さらに、同窓会役員になって驚かされたのは、人間文化学部支部同窓会評議員(理事)の先輩方の中には、私の学生時代が比にならないくらいバイタリティをお持ちの方がワンサカおられることです。大先輩に置かれては、女性が短期大学を含む大学に進むことが難しい時代にあって、公立短期大学の狭き門にご本人の努力とご家庭の理解があってのご進学だったとお察しします。そんな先輩方のご発言や考え方、行動に触れ、私の学生生活に重ね合わせるのみならず、時代背景が加わることで、さらに在籍の重みを増し、尊敬の念を強くする次第です。

短期大学から大学への移行の際、家政部から人間文化学部へと履修内容が異なる、学科学部になったことは、両同窓会(短大芹翠会と県大人間文化学部)の今後のあり方も含め、他学部にはないご苦労を先輩方がされてきたと伺っています。それは、容易に想像できることです。そんなご苦労を乗り越えて、近年、ようやく両同窓会がひとつになり、活動を開始したところであり、まさに、温故知新の言葉通りの運営の中にあります。歳を重ねてありがたさを知る同窓会をなくすわけにはいけないと頑張ってきてくださった先輩方のこれまでのご努力を無駄にしないよう、そして、人間文化学部卒業生の皆さん主体で動いていただくための土台固めとして、現役員は何とか智恵を絞り出して、橋渡しの橋を太くしているところです。個人的には、これも恩返しのひとつと勝手な良き解釈をして臨んでいます。旧芹翆会会員の皆さま、県立大学人間文化学部同窓会の皆さま、今はともに県立大学湖風会人間文化学部支部同窓会と統一されました。ご縁をいただいた新しい県立大学湖風会人間文化学部支部同窓会づくりに皆さまおひとりおひとりのお力をぜひお貸しくださいませ。

そこまでじゃなくても、同窓会がちゃんと存在し機能していることをひとりでも多くの方に知っていただける機会になったら、満足です!!

 県立大学家政部幼児教育学科 平成元年卒業 早川(旧姓 坂下)幸代

2018年05月30日卒業生からの寄稿(大辻房枝さん)

本会の顧問である大辻房枝先生から大学の思い出を寄稿していただきました。

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                                                     小学校以後の思い出

短大2期生 大辻房枝

皆様 こんにちは!お元気ですか。私、昭和28年に当短期大学を卒業し、ご縁あって母校の食物科に勤め、栄養士の養成に携わりました“大辻”です。ホームページ開設にあたり何でもいいから一筆書きなさいということで、今日はこれから私の終戦間近の小学生時代からの思い出話をしてみたいと思います。

昭和20年(1945年)3月、小学校卒業、その当時は小学校6年までが義務教育で更に進学する場合には男子は中学校、女子は女学校(それぞれ5年)への入学試験がありました。筆記試験と面接試験が2日間行われるところ、その頃にはアメリカによる本土空襲が激しくその為、筆記試験のみ1日で終わるという状態でした。私は滋賀県立愛知高等女学校に入学しましたが、住まいの八日市からは電車通学、途中空襲警報がなるとそのまま家に帰りました。家は近くに八日市飛行場があったので、敵機が飛行場めがけて爆撃する様子も見られ、ちゃちな防空壕に入って震えていたのを覚えています。幸い町には被害はありませんでした。そして8月15日に戦争は終わりましたが食糧難がひどく、学校へ行っても硬い校庭をほってサツマイモを植えたり堆肥小屋からモッコというものを二人で担いで堆肥を運んだり、田植え、稲刈りも経験しました。

そして、4年生へ進む年、新制中学校(現在の義務教育の中学校)、新制高校制度が誕生。中学校、女学校は終わり、私たちは愛知高等女学校附設新制中学校卒業という事になり、八日市中学校と愛知女学校が合併して神愛高校八日市校舎、愛知校舎となり、私は家の近くの八日市校舎へ入りました。男女共学という制度がとても珍しく、最初はこわごわ相手を見ていましたが、それもすぐ打ち解け、楽しく高校生活を送りました。

今までの専門学校制度が新しく短期大学になり、滋賀県立女子専門学校が滋賀県立短期大学(文・家政部)となり、私は2期生として入学しました。当時は男女共学で、文科には大勢の男性がおられ、私の入った家政科食物専攻にも5名の男の方がおられましたが、しばらくして2名は農業部へ転科され、残り3名は卒業まで栄養士としての勉強を共にしました。28年度(3期生)から男子禁制、さらに29年度(4期生)から文科も廃止されました。

私は卒業後、五個荘の川並病院という個人経営の50床位の小さな病院に栄養士として就職。当時は結核患者が多く、川並病院も殆どが結核患者でした。当時のちゃちな電動式自転車に乗って患者さんの食糧の買い出しにも行きました。勤めて1年7ヶ月後の昭和29年11月に縁あって母校の短期大学に勤務替えしそれから65歳の定年まで栄養士の養成を仕事として勤めました。短期大学で教鞭を執るからには、同じ短期大学卒ではと思いしばらくして日本女子大学の通信教育を受け児童学科に入学、卒業した後、更に考え直し、もう一度今度は食物学科に再入学しました。夏の40日間のスクーリングの為、全国から集まった通信生と寮生活を共にしながら勉強に汗を流し、また日曜日には東京見物にと楽しくいろいろな経験をしました。児童学科在籍の頃は、沖縄からの通信生の方はパスポート持参、外国から参加されるって感じ、大変だなーって思いました。

短大在学中の卒業旅行は北九州でした。卒業後50年(平成15年)を記念して思い出をたどりながらクラスの仲間15名が九州旅行しました。当時より短い3泊4日の旅でしたが、長崎駅からバスをチャーターしてあちこち巡りました。最後の3日目の宿泊地は栃ノ木温泉、小山旅館は50年前と同じ宿、当時とは少し変わっていましたが当時の事いろいろ思い出してとても懐かしく思いました。あれからもう15年、月日の経つ速さを今更ながら噛みしめています。同期のクラス会は5年前に打ち止め。その後は現在に至るまで、関西地方の有志10名程で、毎月1回お食事会をしています。いつまでたっても友達は遠慮なく、気楽に話ができていいですね!

随分長くなりましたが、私の思い出の記、拙い文を最後まで読んでいただき有難うございました。

 

 

2018年04月30日卒業生からの寄稿(杉山こず恵さん)

理事から大学の思い出を寄稿していただきました。

今回は杉山こず恵さん(平成8年度卒業)からの投稿です。

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はじまり

 皆さんこんにちは 私は滋賀県立短期大学家政部食物学科最後の卒業生です。先輩方が卒業された後の学校は、生徒の人数が半分になり少しもの寂しさがありましたが、先生方のマンパワーでもり立ててくださり最後の年まで楽しく過ごすことができました。中でも担任の大辻先生には、学生時代だけでなく卒業し就職してからも大変お世話になりました。社会人としての厳しさに触れ、相談の為大辻先生を訪ねると、私と同じように相談に来ていた卒業生が何人もいるとのこと。先生から「同窓会したらどう?」という提案をきっかけに、なんと卒業して22年毎年開催することとなりました。旧友との再会は、学生時代にたちまちタイムスリップ。懐かしい思い出話や仕事、子育ての悩みなどに花が咲きます。そして大辻先生のお変わりのないご活躍(お茶のお稽古、フラダンス、フルート…)に感嘆し、「また明日から頑張ろう」と言う気持ちにさせてくださいます。

先生は同窓会役員としても活躍されていましたが、耳の調子が悪く会話が聞き取りにくいと言うことで、私は先生の耳代わりとして役員会にお邪魔することとなりました。初めは何もわからず戸惑いましたが、同窓という絆は深く、自然に先輩方と溶け込めたように思います。次は県立大学卒業生にバトンを渡したいと思っています。ぜひ、ご興味ある方はご連絡を!

2018年03月22日大学の思い出(森田敦子さん)

理事から大学の思い出を寄稿していただきました。

今回は森田敦子さん(家政科 昭和35年卒業)からの投稿です。

PDFファイルをご覧ください。

森田敦子さんからの投稿